新卒ニート女子ブログ

人がなんのために恋愛するのか知りたい

今したいことをやる、はベストな基準っぽい

ああ、今日は花園神社で酉の市か~。去年あんまり良い思い出にできなかったから塗りかえたいな。2回目か3回目の酉で参加しようかな。

今日は50代後半のおっとりした男性にさとされたり、30代後半の男女と新宿で話した。前からふつふつと感じる瞬間はあったんだけど、人生での選択の仕方を見直す必要を感じた。

 

今はなんというか、針が極端に振れているんだよな。就職するか、活動を続けるか・・・。社畜になるか、ニートになるか。安定か、自由か。みたいな。2つに1つの選択を自ら課している。

自分にとってわかりやすく、どちらかに振り切れば、ある種の「割りきり」ができるんだよね。社畜になる選択を自分はしたんだから、夜まで家に帰れなくても仕方ないっか、みたいな。そうすれば仮に満足感を得ていない状態でも、「仕方ない」の一言で自己解決できる範囲が広がるんだろうな。

 

でも、最近気づいたんだけど、どの選択を自由に選択しても、100パーセントの満足って永遠に得られないわ。金欠が3日以上続くと就職したいなって自然と思えてくるし、逆に、他人の仕事ストレスの発散とかに付き合わされたら、自分は時間にフリーな生き方をしていてよかったとも思う。要は、いつまでも隣の芝生は青く見える状態がつづくから、極端な思考や選択をすることって危険なんだよね。

 

どちらかと言うと、その間にある選択肢のなかで、振り幅をつくるほうが合理的かもしれない。会社就職する・しない、で悩むのではなくて、「今するかどうか。」で悩むべきだ。

どういうことかと言うと、こういうことにずっと悩んでるとさ、2択のうち、さも選ばなかった方は完全に捨てることになるって勘違いしてきちゃうんだよね。けど、自分が選んだものを絶対的な選択肢にする必要は、かならずしもないんだよ。それはブレてる!って批判されるかもしれないけれど、ブレないでいることなんてそもそも人間にはムリだと22年間の人生でさとった・・・。

好奇心が正常に働いている限りは、自分にないものを求めていくのが自然で、それを我慢して止めようとするから変な歪みが生じるんじゃないかな。冒頭で述べた「仕方ない」の連発になるんだと思う。

 

だったら、基準を「今しようと思うかどうか」にすればいい。そうすると少なくとも今の自分には、正直でいられるんだよね。自分に対する正直さを、大事にしていきたいとすごく思う。

隣の芝が青く見えてきたら、素直に移動すればいいと思うし。ガマンをすることで得られる成長が気になるのであれば、その場で自分ができることをある程度やったかどうか勝手に判断すればいい。主観的な判断だろうから確実ではないしさ、というか成長とか前進ってしなくちゃいけない強迫観念に駆られてるだけで実は義務じゃないし、ゆっくり生きてもいいんだよ。何より自分の人生は、基本、自分のしたいようにしないと、お隣の田中さん家がめちゃくちゃ楽しそうに見えてしまう・・・。

しかも、いつでも元いた場所に戻ってきてもいいと思う。振り子のようになんかたいてい、同じ場所を行ったり来たりする傾向があるような気もするし。

 

つまり私は、就職に興味があるならやってみればいいし、ちがうと思ったら振った幅を少しずつ戻して調整すればいいんだ。就職したら、このスピード社会に対抗したスローライフ(注:ニート生活)を捨てなきゃならない~、なんて勝手に自分がつくった幻想で、就職とニートの間にはいろんな選択が実際にはありそう。しかも、極端に針を振り切る二者選択より、よっぽど多彩だと思う。

 

青く見えたら、青いほうへいつでも進めばいいと思う。その代わり、進んだ先が青く見えなくなった時には反対方向へ針を振る余地をつくっておかなきゃいけない。

この余地づくりは自分の心のなかでやっておけばいいのか。いつでも自由に生きよう、って思ってるだけで自由に生きれるかは謎だけれど、心の持ちようって行動にいくらか影響力あると思うんだよね。

 

いつでも辞める覚悟をもって全力で対面、殴り合うのがベストな気がしてきた、「働く」って。

このスタンスだと、精一杯全力でやろうって思える気がする。

 

しかしなんだか、この考え方は海外の転職オンパレードの風潮に似ている気がしないでもない。すごい合理的な風潮だなあ。